1日というのは、何かを始めようとするきっかけとしてちょうどいいように思う。それが、たとえ一年の終盤の残り2か月となった、朝晩の冷え込みが気になってきたこの11月であったとしてもである。無理やりと理由をつけるのであれば、それは今月が私の31歳の誕生日を迎える月であるということだろうか。飽き性の私がいつまで続けられるか不安はあるが、無料で始められることであるから、気軽な気持ちでやっていきたい。
さて、ブログというものはこれまでの人生であまり読んできたことはなく、このはてなブログを知ったのも、勤め先の社長がこれを利用していて、たまに閲覧する機会があったからというもので、特にこだわりはない。はたしてこの文章すら読む人がいるのだろうかと懐疑的である。似ているサービスに「note」があるが、これも併用というか、使っているのか使っていないのか曖昧な形で残っている。なんとなく肌に合わないような気がしてしまって、途中で辞めてしまった形である。もちろん、僕の飽き性も原因の一端ではある。ただ、大きな理由としては、自分の文章を読んでいないのに、いわゆる高評価をつけるようなものが受け入れられなかったことがある。自分の記事を読んでもらうために、ほかの人の記事へ「足跡」を残していく。たしかにこの行為自体はわかるし、自分もした部分はある。けれど、あきらかに読んでいないだろうとしか思えないことが度重なったことで、もどかしくなってしまった。ブログもどうせ同じだろうと思っているところもある。けれど、気持ち新たにということで改めて今日からやっていこうかなと。
書いていておもったことだが、このブログも結局は自分が一番の読者になると思う。けれど、それでいいかなと。これまで地方新聞の読者投稿にエッセイもどきを出したり、地方文芸誌に小説を投稿してみたりと、文章を書くのは好きだが、社会人になってから定型的な会話が増えたような気がして、会話だけでなく、文章も下手になっているような気がしないこともない。こうやって文章を書くことで訓練になるんじゃないかなと副次的な効果にも期待して。
せっかくの最初の記事だが、あまり考えずに始めたということもあって、構成的なことは考えていなかった。別にブログで稼ごうとかいう魂胆もないのでいいか、とも思ったが、結局読者がいないのでは意味がないのでは?という本末転倒なことになりかねない。引きのある文章、物語とかを書こうとも思ったが、そんなもの書けそうにないし、そもそもそれでは始めた本来の趣旨ずれになりそうなのでゆるっとしめて終わりにしよう。
最後に日記らしいことでも書いておこう。今日は来年度の日記帳(手帳)を買いました。ちなみに今年の日記帳はほとんど空白です。来年こそはがんばれ、自分。